やけ酒の代償(1)

 

 ピートはその晩、ひとりで飲んでいた。
 フロンティア・パブは、なかなかいい店だ。仲間と来ても、ひとりで来ても、いつも居心地がいい。まだ若い赤毛の店主はやり手らしく、客のあしらいがじつにうまい。作る料理もおいしい。あまり酒を飲まないピートにとっては唯一といっていいくらいの、行きつけの酒場だった。
 この店に初めて来たのはいつだったのだろう? ピートは思い出そうとした。だいぶ酔ってきているので、なかなか思い出せない。……ああそうだ、あのバカが――いや、ギャラハンが、ここの店で騒ぎを起こした時だ。彼が持っていたはずの拳銃が見つからないというので、第一捜査室のロッカーからアパートから父親の家まで探し回り、結局この店の庭の植え込みに落ちているのが見つかったのだった。屋根に登ったときに落としたらしい。しかも発見したのは捜査員ではなく、この店で働く金髪おさげの少女だったというオチだ。
 しかしそのおかげで、ここの店主と顔なじみになり、同僚といっしょに寄るようになった。
 外は木枯らしが吹いているようだ。ときおり、窓枠がガタガタと揺れる。そろそろ本格的な冬が始まる。しかしこの店の中は春のように暖かい。自分の寒い心も暖めてもらえればいいのに、とピートは思った。
 兄がいなくなってから、一ヶ月近くが経つ。いいかげんに立ち直らなければと思いつつ、いまだに心は暗い闇の中でもがいているようだった。
 ピートは幼い頃から、兄を目標にしてきた。デニスは、まじめで成績優秀で朗らかな兄だった。兄が警官になると言い出したとき、両親もピートも驚いた。あのとき反対していた両親も、すでにこの世にはいないが。
 そうして兄は警察官になり、ピートは大学に進んだ。それが自分で望んだ道だったのか、両親の希望だったのかはもう忘れてしまった。しかし結局ピートも大学を中退して兄のあとを追った。半年ほどで第一捜査室に配属され、そこで幼なじみのウォルターやギャラハンに再会し、今日に至るというわけだ。
 その兄が、病気には勝てず、とうとう逝ってしまった。妻と、生まれて間もない娘を残して。
 グラスが空っぽになった。ピートは酒を追加注文した。……何杯目だろう?
 ふだんの量を超えているが、まだ飲み足りない。深酒になることを見越して、明日は休暇をとってあるので、まだ安心して飲み続けられる。
 今頃サラとダイアナはどうしているだろう、とふと思った。サラの両親が、孫の顔を見に、いなかから出てきているのだ。親子水入らずで、サラもひさしぶりに気が休まるだろう。そのような中に自分がいても邪魔だろうと思って、今夜はひとりでここに来たのだった。
 たった一度しか父親に抱かれることがなかったダイアナ。今夜はいい子でいてくれるだろうか? 
 ピートはグラスの酒をあおりながら、いろいろなことを思い返した。
 兄の死後、サラは実家に帰らず今のアパートでダイアナとふたりでくらすことに決めた。デニスの思い出がたくさんある場所から離れたくないそうだ。サラはきっとそうするだろうと、ピートも思っていた。サラの両親は心配して、実家に戻るようにすすめたが、娘の強い意志を知ってあきらめた。そのかわり、金銭的な援助はいくらでもしてくれるという。
 ピートがサラ親子のためにできることは、日常生活でのちょっとした手伝いや、相談に乗ることくらいしかないが、それでもできるだけのことはしたいと思っていた。そして、兄のかわりに、ダイアナの成長を見届けたいという願いもあった。今のピートにとって、この世で血のつながりがあるのは彼女ひとりだけなのだから。
 しかし、サラを見ると気持ちが落ち着かないときがある。兄が健在だったときには心の奥に抑えつけていられた感情が、ふとした拍子に飛び出してきそうになるのだった。いまさらあのころの関係にもどることなどできないのは、わかっているはずなのに。
 会わないでいればまだいいのだが、手伝いだの用事だのでどうしてもサラのところに行く機会が多くなっている。行かなければサラが困るのだ。
 そんなわけで、兄の死後、ピートは毎日ストレスを抱え、日増しに疲れがたまり、仕事のミスも目立ってきた。どうにかしなくては昇進にも響く……でもどうしたらいいのか。焦るばかりで、どうにもできない。自分はこんなに打たれ弱かったのかと呆れ、情けなく思った。
 いったい、どのくらい飲んだのだろうか? いつもの倍近く飲んだだろうか。まだ気持ちよく酔えないので、さらに酒を注文しようとしたら、店主がストップをかけてきた。もうそのくらいにしたほうがいいわ、だと。店主が客を相手に、そんなことを言う権利があるのか。文句を言ったら、どういうわけか店から追い出されてしまった。
 なにがどうなっているのか、頭がよく回らないのでわからない。とりあえず、別の店で飲み直そう、とピートは思った。どっちだったかな、と適当にふらふら歩いていると、見たことのあるような女が向こうからやって来る。あれは、ええと……メリッサじゃないか。
「こんなに遅くまで残業かい? ご苦労さんだな」
 自分の声のはずなのに、どこか遠くで聞こえるような感じがした。


 千鳥足でやってくるのがピートだと気づいて、メリッサはびっくりした。彼はだいぶ酔っているようだ。ふだん、あまり酒を飲まず、飲むときも適量をきっちり守っているはずのピートが。
 お兄さんの死はよほどこたえたのだろうか。仕事でも調子が悪いようで、ジェニファーやギャラハンやウォルターが心配していた。もちろんメリッサも、話を聞いて心配に思っていた。
 ピートが声をかけてきたので、メリッサは答えた。
「ピート、ずいぶん酔っているようね。大丈夫?」
「酔ってなんか……まだまだ平気だ」
「気をつけて帰ってね」
「帰る? いや、まだ帰らないよ……もう一軒行くところだ。つきあわないか?」
「私……お酒はだめなのよ。……ピートももうやめておいたら? あまり飲むと体に毒よ」
「大丈夫さ……ジェニファー」
「私はメリッサよ」
 ふだん飲まない人が、これ以上は危ないのではないかとメリッサは思った。なんとか、このまま家に帰さなくては。
「……ああ、メリッサ……そう、そうだメリッサだったな。ところで」
 ピートはふらふらとメリッサに近づいてくると、
「きみはすてきな女性だよ……どうだい、俺と結婚しないか?」
と、ややろれつのまわらなくなった口で言った。メリッサは驚いた。 
「何言ってるの、いきなり。ピート、酔っぱらいすぎ」
 ピートはメリッサの肩に右手をぽんと乗せたかと思うと、そのまま寄りかかってきた。ピートの体重がかかってきて、重い。アルコールのにおいが強くなった。
「すぐじゃなくても……いいよ、約束だけでいいんだ……俺は最低でも警部までは行く予定だ、給料もよくなるし苦労はさせない。お得だぞ……」
「冗談はやめてね。あなた、自分でなにを言っているか、わかっていないんでしょう」
「俺は本気だ、もちろん……きみは俺のことどう思ってる? おもしろみのない奴だから、嫌いかい?」 
「ピート、私……ふだんのあなたは好きだけど、今のあなたは別人みたいだから……」 
「ぐだぐだうるさいな……俺は俺だ、酒を飲んでなにが悪い……」
 ピートの眠そうな目がメリッサを見つめた。彼の顔がどんどん近づいてくる。彼がなにをしようとしているのかがわかった瞬間、メリッサは恐怖を感じ、思いっきり手で突き飛ばしていた。

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