ホワイトデーのホワイトさん


 ホワイトさんは、若い郵便配達員です。
 ホワイトさんの配達担当区域には、いろいろな人が住んでいます。建物も、大きな家、小さな家、商店、会社、アパートといろいろです。
 そんな中で、ある一軒家が気になっていました。大金持ちとまではいかないけれど、庶民というには裕福そうなりっぱな家です。玄関の近くにはいつもきれいな花が飾ってあり、開いた窓から時々ピアノの音が聞こえてきました。弁護士のウッドさんと、奥さんと、お嬢さんが暮らしていました。
 ホワイトさんが配達にいくと、たいていはウッド夫人が玄関に出てきて、郵便物を受け取ります。上品で優しそうで、すてきなひとです。にっこり笑って「ごくろうさま」と言ってくれるのです。お嬢さんのエレノアさんは母親に似た顔立ちで、やっぱりにっこり笑って「ごくろうさま」と言ってくれます。ご主人にはたまにしか会ったことがありませんが、りっぱな紳士です。「ありがとう」と言って受け取ります。家族はとても仲が良さそうで、よく三人で出かけていくところも見かけます。  
ホワイトさんは、今は親兄弟もいなくてひとり暮らしだったので、ウッドさんのようなあたたかい家庭がうらやましくてたまりませんでした。

 

 
 3月のある夕方、郵便局にウッド夫人がやってきました。なんだかやつれたような顔をして、あまり元気がないようです。どうしたんだろう、とホワイトさんは思いました。夫人は窓口の人に話しかけました。局長に面会を申し込んでいるようでした。  
 受付の人は局長室に行きました。局長が出てきて、応接室にウッド夫人を案内していきました。  
 ホワイトさんは明日配達する郵便物の仕分けをしていましたが、気になって仕事がはかどりません。  
 少しすると、応接室に来るようにという局長からの伝言を、お茶を運んでいった局員がホワイトさんに伝えてきました。ホワイトさんは、なんとなく不安に思いながら、応接室のドアをノックしました。配達でなにか間違えたんだろうか? それとも、失礼なことでもしちゃったかな? なにも思い当たることはなかったのですが、ホワイトさんはドキドキしてしまいました。  
 部屋に入ると、テーブルの上に箱が置いてあるのが見えました。リボンがかかっているので、プレゼントの品のようです。ウッド夫人が持ってきたんでしょうか。局長に?  
 局長は声をひそめて、
 「これから話すことは内密に頼む」
と言いました。ますます不安がつのるホワイトさんです。
「じつはウッドさんの奥さんから頼まれたことがあるんだが、君がこちらのお宅の配達担当だったね」
「はい」
「これを14日に配達してほしいんだ」
「はい、どちらに配達するんですか?」
「だから、ウッドさんのお宅に」
「えっ?」
 するとこの箱は、ウッド夫人が持ってきたものではないのでしょうか?
「きみは、ホワイトデーというのを知っているかね?」
と局長が尋ねました。
 ホワイトさんは一瞬、自分の誕生日かなにかかと思いましたが、1ヶ月前に聞いた話を思い出しました。あの悪夢のようなバレンタインデーの日、同僚が言っていたのです。1ヶ月するとまた地獄だぞ、と。
「ええと、たしかバレンタインデーのお返しをする日とか。最近の流行りだそうですね」
「うん、そうらしいな。それで、じつはウッドさんのお嬢さんがいま、重い病気で――」
「えっ!」
 ホワイトさんは驚きました。そういえばここしばらく、エレノアさんの姿を見かけていません。病気だなんて……しかも重い病気? だからウッド夫人はこんなにやつれてしまったのでしょうか。
「それで奥さんは、なんとかお嬢さんを元気づけてあげたいと考えて、これを持ってこられたのだ」
 夫人が口を開きました。
「ええ、じつはあの子の好きな歌手の誕生日がちょうど2月14日で、娘は毎年プレゼントと手紙を贈っているんです。今年は病気で外出できず、私がかわりに見立てて買ってきましたけど……あの子、プレゼントを贈るのも今年が最後かもしれないなんて言って……どうも、うすうす感じているようなんです……」
 そう言いながら、夫人はハンカチで目頭をおさえました。お嬢さんは、命にかかわるほど具合が悪いのでしょうか。ホワイトさんはとても心配になりました。
「それで私、考えたんです。もし大好きな歌手から返事が来たら、少しは元気を出してくれるんじゃないかと」
 局長が続けて言いました。
「だが売れっ子歌手から返事なんて期待できないし、ということで、ご自分でホワイトデーのプレゼントと贋の手紙を用意してこられたんだ。本来ならこのようなことはできないのだが、その……今回はお気の毒な事情があるし……お引き受けすることにした。ここにいる三人だけの秘密ということで、口外は無用だ。わかったかね?」
 半分呆然としていたホワイトさんですが、だいたいの話は飲み込めました。
「はあ……それでは僕は、これをその日に配達すればいいんですね?」
「まあ、そうだ。できれば直接手渡してもらいたいのだ。その歌手からの返事だと信じてもらえるように」
 ホワイトさんはどきっとしました。エレノアさんに直接渡す?
「でも、部屋まで持っていくことはできませんよ。そんな、いつもと違うことしたら逆に怪しまれますし」
 だいいち、うそをついていることが顔に出てしまうかもしれません。ホワイトさんはとても正直者なのです。……たいていの場合においては。
「それもそうか……」
「それなら私、その時間に外出することにしますわ。そうすれば娘が玄関まで受け取りに行くでしょう」
と、ウッド夫人が言いました。
「大丈夫ですか? 起きたりしても」
「少しのあいだなら……」
 うわ、やっぱり直接対面するのか……。ホワイトさんはどうしようもなく心が重くなりました。
「では、配達の時間を打ち合わせておきましょう」  
 ホワイトさんは複雑な気持ちになりました。エレノアさんをだますのはとてもうしろめたいことです。でも、それでエレノアさんが少しでも元気になってくれれば嬉しいのです。なんだか以前にもこんなふうに困ったことがあったような気がしましたが、なぜか思い出せませんでした。
 いったいどんな顔をして渡せばいいんだろう。うまくやれるだろうか……局長も、本当のことを自分に打ち明けたりせずに、黙って郵便物に混ぜておいてくれればよかったのに、と思いました。
 箱にはミス・エレノア・ウッドの名前と住所が美しい字体で書いてありました。夫人が書いたのでしょう。差出人の名はピーター・ペアーズ。ホワイトさんはその文字をぼんやりと見つめていました。
「エレノアさんが大好きな歌手って、ピーター・ペアーズだったんですか……」
「ええ、いつもラジオで聞いているんです。二枚出ている彼のレコードは、机の上に飾ってありますわ。いちどくらいコンサートにでも連れて行ってやりたかったのですけど……もう……」
 夫人はそう言ってまた涙を拭きました。

 


 ついにホワイトデーがやってきてしまいました。予想どおり、局員たちはたくさんの「お返し」を配達するのに大忙しでした。ホワイトさんはほかの配達員に気づかれないように注意して、受け持ちの地域の配達物のなかに、例の箱をこっそり忍び込ませました。
 約束の時間が迫ってきました。ホワイトさんがウッドさんの家の近くまで行くと、ウッド夫人が家から出てくるのが見えました。彼女はホワイトさんのほうを見て、気がつかないほど小さく頷くと、反対方向に歩いて行きました。でもホワイトさんはまだ動かずに、その場に立っていました。やがて夫人の姿が見えなくなりました。
 すると入れ替わりに、その方向から、若い男の人がやってきました。ホワイトさんの友人でした。彼はホワイトさんを見つけて、近づいてきました。
 ホワイトさんは包みを取り出し、手渡そうとしました。友人はそれを手で制し、
「僕が用意してきたから」
と言いました。そして持っていた鞄から、リボンのかかった箱を取り出しました。ホワイトさんは箱を自分の鞄に戻しました。
 ふたりはエレノアさんの家の前に立ちました。友人はドアをノックしました。ホワイトさんは彼のななめ後ろに立って、ドキドキしながらエレノアさんを待ちました。なるべく、ふだんどおりの表情でいなければと思いながら。
 いつもよりも少し長く待ちましたが、やがてゆっくりドアが開いて、エレノアさんが顔を出しました。ホワイトさんの知っているエレノアさんとは別人のように、すっかりやせて、青白い顔をしていました。重い病気なのだと、ひとめでわかりました。
「はい……どなたですか?」 という声も小さく弱々しいものでした。
 訪問者の顔を見た途端、彼女は目を大きく見開いて、両手で口をおさえました。
「ペアーズさん? ……まさか……」
 友人は、よく響く声で言いました。
「はじめまして、エレノア・ウッドさん。いつも手紙やプレゼントをありがとうございます。お返事書けなくてすみません。先日いただいた手紙に……今年で最後になるとかいてあったので、気になっていたんです。それもあって、今日は直接お会いしてお礼をと思いまして、郵便局の人に案内してもらって来ました」
「あ……」
 びっくりしたのでしょう、エレノアさんはよろけるようにあとずさりしました。ホワイトさんは彼女が倒れてしまうのではないかとあわてました。でもエレノアさんはなんとか体制をたてなおし、震える声で言いました。
「は、はじめまして。私いつも……ずっと前から……その、素敵なお声……に……私……」
 涙がぽろぽろこぼれています。とても感激しているようです。
「これは長年のご厚意への、ささやかなお礼です。東洋の貴重なハーブティーで、とても美味で体にも良いのです。私もこれを飲むとのどの調子がいいんですよ」
 ペアーズはそう言ってエレノアさんに箱を手渡しました。
「私はコンサートやラジオで一生懸命歌います。だからあなたも、もう最後なんて言わずに、これからもぜひ私のうたを聞き続けてください」
 エレノアさんはもうなにもいえず、ただその箱を大切そうに抱きしめながら、うなずいていました。

 


「ほんとにありがとう。忙しいのに無理に頼んで、すまなかった」
 フロンティア・パブのカウンターの片隅でコーヒーを飲みながら、ホワイトさんはペアーズに言いました。
「いや、礼をいうのはこっちさ。電話をくれてありがとう」
とペアーズは言いました。
「返事は出せなかったけど、彼女の手紙、毎年楽しみにしてたんだよ。でも今年は手紙の様子がいつもとちがってたし、気になっていたんだ。重い病気だったとはね」
「これで少しでも元気になってくれればいいんだけど……」
「また僕の歌を聴いてくれるって言ってただろ。コンサートの招待券も送る約束をしたんだ。きっと元気になるさ」
「あいかわらずたいした自信だ……学生時代とちっとも変わってないな。でもほんとに、そう願いたいよ」
「そうだ、よかったらきみも来てくれよ、コンサート。いちども聞きに来てくれたことないだろ」
「いや……その、クラシック音楽って僕、よくわからないし」
「べつにわからなくってもいいさ。聞いて楽しけりゃいいんだ。そして僕は君を楽しませる自信がある」
 人気歌手は自信たっぷりというような口調で言い、にっこり笑いました。ホワイトさんも思わず笑顔になり、
「うん……そうだね、こんど行ってみようかな」
と言いました。  

 

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