春のホワイトさん

 

「あの、すみませんが」
 後ろのほうから、女性の声が聞こえてきました。配達中のホワイトさんは振り返りました。
 二十代半ばくらいの女性が早足で近づいてきます。肩にかかる長さのライトブラウンの髪にこげ茶の大きな瞳、スタイルの良いはつらつとした感じの人です。
「この住所、どちらの方角になるのか教えていただけますか?」
 彼女は手に持った紙片を差し出しました。
「初めてなので、迷ってしまって……」
 ホワイトさんは紙に書かれた住所を見て、それが自分の配達担当区域にあるアパートだとわかりました。
「ああ、レイニーアパートですね。これから配達に行く方向なので、ごいっしょしましょう」
「まあ、ご親切にありがとうございます。助かります」
 女性は嬉しそうに言うと、ホワイトさんの横にぴったり並びました。ホワイトさんは、ちょっと恥ずかしいような、でも嬉しいような、不思議な気持ちになりました。
「あれ、でもたしかこの部屋は……空室だったと思いますが」
「空室じゃなくなりました。きょうから私が住みますから」
 明るい声で彼女は答えました。
「そうだったんですか。僕はこの地域の配達担当で、ホワイトと言います。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。ジェニファー・ブリーズですわ」
 ジェニファー・ブリーズ……すてきな名前だ、とホワイトさんは思いました。きれいな人だし。
 紙に書かれていた住所が近づいてきました。ホワイトさんは青い屋根の建物を指さし、
「あれがレイニーアパートです。管理人さんの部屋は入口を入ってすぐですよ」
と言いました。
「ありがとうございました。お仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい」
「いえ、全然そんなことは。ああ、そうだ。落ちついてからでけっこうですから、郵便局に届けを出していただけますか」
「わかりました。あしたにでもうかがいます。それじゃ、これで」
 ジェニファーさんはにっこり笑うと、また早足でアパートのほうに行ってしまいました。
 もう少しいっしょに歩いていたかったなあ、とホワイトさんは思いました。



 翌日、朝早くの急ぎの配達を終えたころでした。ホワイトさんはまたジェニファーさんを見かけました。手に紙切れを持って歩いています。
「おはようございます、ブリーズさん」
 声をかけるとジェニファーさんはまっすぐ近づいてきました。
「おはようございます。きのうの郵便局員さんですね。あの、なんどもすみませんが……」
 なにを言われるか、だいたい見当はついていました。
「けさは、どこに行きたいんですか?」
とホワイトさんが微笑みながら聞くと、彼女は困ったような表情で、
「……ごめんなさい、ほんとに。道案内を頼める人がいなくて……」
と申し訳なさそうにつぶやきました。
「いいんですよ。この町ではみんな、警官がつかまらなかったら、郵便配達員に聞くんです。それがいちばん手っ取り早いですし」
 半分は嘘でしたが、ジェニファーさんが気を遣うといけないと思ってそう言いました。
「警察に……王立警察本部の建物に行きたいんです」
 ホワイトさんはちょっと驚きましたが、顔には出さず、頷きました。
 きのうと同じように、ジェニファーさんはホワイトさんの横に並んで歩きました。
 きのう引っ越してきたばかりで、警察になんの用だろう? なにか困ったことでも起きたんだろうか。アパートでなにかあったんだろうか? それとも、これだけの美人だから、もしかしてストーカーにつけ回されているとか……。
 まだ知り合ったばかりの人に、そんなことをいきなり聞けるわけもありません。心配でしたが、ホワイトさんは黙って歩きました。
 王立警察の本部が見えるところで来ると、ホワイトさんは言いました。
「あれがそうですけど……受付までいっしょに行きましょうか?」
「あ、わかりました。ここからはひとりで行けますから。ほんとに、きのうもきょうもご親切にありがとうございました」
 そしてジェニファーさんは、
「ああ、そういえば届けをださなくちゃね。あとで郵便局に行きますね」
と言って、軽く手を振って別れの挨拶をしました。そしてきのうと同じように、小走りで行ってしまいました。
 大丈夫かなあ。引っ越してきたばかりで、ひとりで住んでいて……警察に行くって……。
 いくら心配しても、どうしようもありません。道案内なら郵便配達員にもできるけれど、犯罪関係は警察でしか対応できません。ホワイトさんはため息をつき、局に戻りました。



 ホワイトさんは一日の配達を終えて、事務整理をしていました。あとで行きますと言っていたジェニファーさんは、まだ来ていません。もしかして、まだ警察にいるのでしょうか。なにかむずかしいことになっていなければいいけど、とホワイトさんはゆううつな気分になっていました。
 あたりが薄暗くなったころ、郵便局の入口に、見覚えのある姿があらわれました。ジェニファーさんが、やっと来たのです。でも、ひとりではありませんでした。並んでいる男の人は、王立警察のレドウェイト警部でした。ほっとしたのもつかのま、ホワイトさんは不安な気持ちに襲われました。
 やっぱり、なにかの事件だったのでしょうか? でもなぜいっしょに郵便局に? 
 不思議に思ったときです。ジェニファーさんがホワイトさんを見つけました。警部になにか言いながらこちらを指さします。警部もなにか言いながら、ホワイトさんをじろりと睨んでいるようです。
 えっ?
 ホワイトさんはあわてました。僕がなにかしたのだろうか? まさかストーカーと疑われてる? でも、先に話しかけてきたのはジェニファーさんのほうだ、たしか。二回とも。そうだとも、自分はなにもやましいことはしていない。ホワイトさんはそう思い、心を落ちつかせようと努力しました。でももともと気の弱いたちなので、心臓はドキドキ、顔はほてり、膝はガクガク、頭はパニックになってしまいました。どうしよう。逮捕されちゃうんだろうか? 
 すると、警部はホワイトさんから目をそらし、ジェニファーさんに向かって話しかけました。声はかすかに聞こえるのですが、なにを話しているのかまでは聞き取れません。ジェニファーさんもなにか言いました。ジェニファーさんの声は高いので、警部の声よりもよく通って聞き取れました。ありがとうございました、と言っているようでした。警部はくるりとうしろを向いて、郵便局から出て行ってしまいました。
 ホワイトさんは、ほっとしました。ああ、そうか。警部は彼女を郵便局まで連れてきただけなんだ。けさの自分と同じように、道案内をしただけだ。心配した自分が間抜けに思えました。
 ジェニファーさんはにこにこ笑いながら、ホワイトさんのほうに来ました。
「ホワイトさん、けさはありがとうございました」
 名前を覚えてもらえたんだ、とホワイトさんは嬉しくなりました。
 ほかの局員が、驚いたような顔でこっちを見ています。ちょっと恥ずかしくなりました。
「引っ越しの届けを出しにきました」
「はい、この用紙にお願いします」
 ジェニファーさんに用紙を手渡しながら、ホワイトさんは尋ねました。
「レドウェイト警部のお知り合いだったんですか?」
「ええ、まあ、知り合いというか……今日はじめて会ったんですけどね。捜査に出るついでだからって、私をここまで送ってくださったんです。彼は私の上司になるんですけど」
 またまたびっくりです。
「……じゃ、あなたは警察官なのですか」
 警察官なら、警察本部に行くのは全然不思議じゃありません。けさのは「出勤」だったのです。
「よかった……」
「え?」
「いえ なにか犯罪に巻き込まれて相談にでも行ったのかなと思ってしまいましたから」
「まあ、心配してくれたのね。ありがとう……やさしいかたですね」
 大きな瞳でこちらを見つめ、優しい微笑みとともにそんなことを言うジェニファーさん。ホワイトさんは嬉しいやら照れくさいやらで、どうしたらいいかわかりません。
「いえ……いえ、そんなことないです。僕なんて全然やさしくないです」
 自分でもなに変なことを口走っているんだろうと思いましたが、あとのまつりです。
 ジェニファーさんはもう一度微笑むと、届け出用紙に記入をはじめました。
 女性の警察官は、この町ではそんなに多くはありません。しかもレドウェイト警部の部下ということは、町の巡回警官とは別の、犯罪捜査専門の部署のはずです――たしかホイットニーさんがそんなことを言っていたような気がします。こんなきれいな人が、犯罪捜査なんてちょっと想像がつきませんが。
 やがてジェニファーさんは記入を終え、ホワイトさんに確認してもらうと、またすてきな笑顔でさようならと言い、帰っていきました。
 そのあと、ほかの局員からあれは誰だ、どういう知り合いだと質問攻めにあったのは、まあ、しかたないでしょう。あんな美人、この町にはめったにいませんから。

 

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