料理と歌の日々



 ペペドンチーノさんは、イタリア料理店の店長です。
 十年前、親友のヴィンチさんとふたり、ふるさとを離れてこの国にやってきました。慣れない環境の中で、たくさん苦労もしましたが、今はふたりともどうやら安定した生活ができるようになりました。ペペドンチーノさんのお店は料理がおいしいと評判で、このあたりでは繁盛しているほうでした。名物「歌って料理する店長」の美声を楽しみにやってくるお客さんもいました。
 ある日、ヴィンチさんがお店にやってきました。最近仕事が忙しくて、なかなか会えなかったので、ペペドンチーノさんは喜びました。
「ひさしぶりだね、元気だったかい」
「うん、まあね。ここはあいかわらず、にぎわってるね。でも、あの金髪の子の姿が見えないな」
「ああ……先月辞めたんだよ。もっと給料のいいところが見つかったらしくて」
「へえ、そうだったのか。じゃ、いまはひとりでやってるのかい?」
「うん。バイトも募集かけてるんだけど、あんまりバイト代も出せないから、誰も来ないな」
 ペペドンチーノさんがため息混じりにそう言うと、ヴィンチさんは心配そうな顔をしました。
「そいつは大変だな……バイト代っていくらくらいなんだ?」
「このくらい」
 ペペドンチーノさんが立てた指の数を見たヴィンチさんは、ちょっと考え込んでから、こう言いました。
「そのくらいの金額でレンタルできる自動人形がある、と言ったら使ってみるかい?」
「えっ? 冗談言うなよ、自動人形って高いんだろう?」
 ヴィンチさんはコッペリウス商会の営業マンでした。でも、いくら彼の口利きがあっても、そんな安い金額では無理なはずだとペペドンチーノさんは思いました。
「来週にも解体される予定の旧型のやつがあってさ、料理を運ぶくらいの仕事なら充分使える。子守り用に特化した第一号で、簡単な家事をやったり子守唄を歌うように作られてたんだ。外見も性格もおだやかな女の子だよ。猫の手よりはマシなんじゃないかな」
「へえ、歌うのか……」
 歌が好きなペペドンチーノさんは、ちょっと興味を持ちました。そこで借りてみることにしました。


 ヴィンチさんに連れられてやってきた自動人形は、やさしそうな表情をした女の子でした。人間なら15歳くらいの外見でした。
「名前をつけてくれ。設定しておくから」
とヴィンチさんは言いました。
「え、な、名前? 僕がつけるのかい?」
「そうだよ」
「そんな、急に言われても……」
 とっさに思いついたのは、昔好きだった女の子の名前でした。
「それじゃ、ビアンカと呼ぶことにするよ」
「ビアンカ、ね。これでよしっ、と」
 ヴィンチさんが自動人形の背中のボタンを押して、「設定」とやらをしてくれました。女の子はぱちぱちとまばたきをして、
「はじめまして、ビアンカです」
と、やわらかい声で言いました。
「ど、どうもはじめまして」
 ペペドンチーノさんは、なんだか緊張してしまって、口ごもりながらあいさつしました。
「これが取り扱い説明書。でも、わからないことがあればまず彼女に聞いてみるといい。内容は全部記憶しているから」
「あ、そ、そうか。うん、わかった。ありがとう」
「それじゃ、3ヶ月の契約でいいね。なにかあったら、連絡くれ」
 そう言って、ヴィンチさんは帰ってしまいました。ビアンカとふたりきりになったペペドンチーノさんは、ますます落ち着かなくなってしまいました。人間の女の子ならともかく、自動人形の女の子なんて、どう接したらいいのかわからなかったのです。するとビアンカが言いました。
「ヴィンチさんが言っていました。あなたのおかげで私は解体日が延期されたのだと。ありがとうございます。お役に立てるよう精一杯がんばります」
 ペペドンチーノさんは、この子がもうじき解体されちゃうなんてかわいそうだな、と一瞬思いました。機械なのに、かわいそうなんて変ですが。
「よろしく、ビアンカ」
 とりあえず、仕事を教えることにしました。開店前の準備のこと、お客様への接し方、料理の運び方、などなど。練習してみたら、なかなか上手にできます。ヴィンチさんの言うとおりでした。
 ペペドンチーノさんは、やっと少し安心しました。そして、思い出しました。
「そういえば、歌を歌うそうだね」
「はい、子守唄を少々内蔵しています。それ以外の歌は、楽譜を見るか演奏を聴くかすれば、記憶して再現します」
「へえ、すごいなあ。じゃ、なにか子守唄を歌ってみてくれる?」
 ビアンカは数秒黙り込んでから、静かに歌い出しました。やさしい、あたたかい声でした。ペペドンチーノさんは、ふと、この自動人形と同じ名前の女の子を思い出しました。ふるさとにいる彼女は結婚して、いまはふたごの男の子の母親になっています。
「上手だね。……そうだ、ほかの歌も歌ってみないかい? 僕は店で時々お客さんのために歌ってるんだけど、君が手伝ってくれると助かるし」 ペペドンチーノさんはギターを持ってきて、弾き語りを始めました。ビアンカは真剣な顔で、その歌を聞いています。なんだか歌いにくかったけれど、とりあえず一曲歌い終わりました。
「そういうふうに歌ってよろしいんですか? 赤ちゃんが起きてしまいそうですけど」
と、ビアンカは心配そうに言いました。
「子守唄じゃないから、大きな声で歌っていいんだよ」
 ペペドンチーノさんは答えました。
「わかりました。それじゃ、歌ってみます」
 そういうと、ビアンカは少しの間違いもなく、今の歌を大きな声で歌ってみせました。
「覚えるのが早くていいね」
 ペペドンチーノさんは笑いながら言いました。


 次の日から、ビアンカはお店で働きはじめました。はじめのうち、お客さんのほとんどは、ビアンカが人間の女の子だと思ったようです。ペペドンチーノさんも、忙しかったのでいちいち説明はしていませんでした。自動人形だと気づいたときのお客さんの反応も、ちょっと楽しんでいました。
 ころあいを見て、ペペドンチーノさんはギターを手に取り、弾きはじめました。お客さんたちはいつものように店主の歌を期待していたのですが、ウエイトレスの女の子が歌いだしたので、驚いたようです。最初、ざわめきが聞こえました。でもすぐにそれも消え、みんな、ビアンカの歌声に聞き惚れてしまいました。
 歌が終わると大きな拍手がわきました。お客さんは大喜びです。ビアンカは嬉しそうでした。ペペドンチーノさんも嬉しくなりました。そして、今度は自分が歌いはじめました。
 その日から、閉店後にかたづけをしたあと、ビアンカに歌を教えるのがペペドンチーノさんの新しい日課になりました。ビアンカは歌をすぐに覚え、翌日にはお客さんの前で歌ってみせるのでした。
 ウエイトレスの仕事は安心して任せることができました。バイトの子のように病気や用事で仕事を休むようなこともなく、いやな客のせいで不機嫌になることもなく、疲れも知らず、よく働いてくれます。ペペドンチーノさんは、自動人形を借りてよかったと思いました。
 ビアンカが来てから、お店には若い男性が多く来るようになりました。ビアンカの歌が目当てなのでしょう。新規のお客さんが増えるのはありがたいのですが、すぐに満席になってしまうため、以前からのお客さんが食事できずに帰らなくてはならないこともたびたび起こるようになりました。
 お客さんが増え、仕事が忙しくなっても、ビアンカは変わらずよく働き、歌を歌います。それにひきかえペペドンチーノさんは料理の注文が増えてそれを作るのに精一杯になり、歌を歌う余裕がなくなりました。
 ある晩、閉店後のことです。ビアンカが、いつものように歌を教わりにやってきました。
「店長、きょうはどんな歌を教えていただけるのですか」
とにこにこしながら尋ねます。ペペドンチーノさんは、ため息をつき、答えました。
「きょうは……悪いけど、休みにしよう。お客さんからリクエストされるような歌はもうだいたい教えたし……それに、僕はちょっと疲れて、早く休みたいんだ……」
ビアンカの表情が変わりました。
「大丈夫ですか? おなかは痛くないですか? 頭は? 昼間なにかへんなものを食べなかったですか?」
 心配して聞いてくるビアンカの必死な様子がおかしくて、ペペドンチーノさんは思わず笑ってしまいました。
「いや……大丈夫だよ。僕は小さな子じゃないから、そんなに心配しないでいいよ。ただ最近忙しいから、疲れがたまっているだけだ」
「そうですか……」
 ビアンカはなにか考え込むように沈黙し、数秒後に突然、歌いはじめました。ペペドンチーノさんは、びっくりしました。その歌はまだ教えていなかったからです。故郷に伝わる古い歌で、この国ではほとんど知られてはいないのですが、ペペドンチーノさんがいちばん好きな歌でした。美しい歌声を聴きながら、なつかしいふるさとを思い、家族や友人のことを思いおこすと、今までの疲れはどこかに飛んでいってしまうようでした。歌が終わるころには、ペペドンチーノさんは晴れやかな表情を取り戻していました。
 ペペドンチーノさんは尋ねました。
「その歌……どこで覚えたんだ?」
「ここに来る前の日に、ヴィンチさんが教えてくれました。もし店長が落ち込んだら歌ってあげてくれ、きっと元気になるからって言って……あの、いけなかったでしょうか?」
 心配そうにビアンカは言った。
「いや……嬉しいよ。ありがとう」
 ヴィンチさんはペペドンチーノさんに負けないくらい、歌がじょうずでした。でも、とある事情のため、この歌を歌わなくなったのです。そのヴィンチさんが、ペペドンチーノさんのために、わざわざ歌ってくれたのです。ペペドンチーノさんは心から親友の心遣いに感謝しました。


 数日後のことです。ビアンカが言いました。
「店長お願いです……私を商会に返してください」
「えっ?」
 突然のことに、ペペドンチーノさんは驚きました。
「どっ、どうしたんだ? うちで働くのはいやなのかい?」
 ビアンカは首を横に振ります。
「いいえ、ここでのお仕事はとても楽しいです。ずっと働いていたいです。でも――」
「でも、なに? なにがあったんだ?」
「……私……私がいると……昔からの常連のお客さんがはなれていってしまうって」
 泣きそうな声で、ビアンカは答えました。
「誰かがそう言ったのか?」
 ペペドンチーノさんはたずねました。ビアンカは小さくうなずきました。
 いったい誰だろう、ビアンカによけいなことを言ったのは。ペペドンチーノさんは、きょうのお客さんたちの顔を思い出してみました。
「私がいるから、若いひとであふれちゃって、常連さんが食事できなくなっちゃったんのでしょう? 店長も忙しくて、疲れちゃって、歌を歌えなくなって……だから、私がいなくなれば」
「そんなこと、きみは気にしなくていいんだ。だいたい、僕の店のことは僕が決める」
「でも、店長はいつもお客さんあっての店だって……言ってるじゃありませんか」
「そ、それは……そうだけど」
 ペペドンチーノさんは、困ってしまいました。そしてしばらく考えました。考えることは、あまり得意ではありませんでしたが。
「ええと、それじゃ、こうしようビアンカ」
ペペドンチーノさんは言いました。
「週に一日、ビアンカの仕事は休みにしよう。人間のバイトだったらかならず休みの日があるんだよ」
「私は人間ではありませんから、休みは必要ありません。毎日一回の簡易チェックと、三ヶ月ごとの定期検査をすれば大丈夫です」
「あ……んーと、それじゃ、店の仕事じゃなくて、買出しに行ってもらう。いい食材を手に入れようと思ったら、一日走り回っても足りないくらいなんだ」
「買い物ですか?」
「そう。やり方はちゃんと教えるよ。それでビアンカが店にいない日は、若者が集まることもないだろう」
「それで大丈夫なんですか? 私、商会に帰らなくてもいいんですか?」
「もちろんだ。まだレンタル期間は終わってないよ」
 ビアンカの表情が明るくなった気がしました。


 それから、週に一度はビアンカの姿が店から消えました。若者たちもこなくなりました。その日は昔からの常連さんが多く集まってきました。そして以前のように、ペペドンチーノさんが料理しながら、あるいはギターを弾きながら歌うのを、静かに聴いていました。苦情をいう客もでてきませんでした。
 やがて、契約期限が迫ってきました。ヴィンチさんがやってきました。
「あの子が役に立ったようでよかったよ」
「うん、おかげで助かったよ。それでさ」
「なんだ?」
「うちとの契約が切れたら、ビアンカは解体されてしまうのかい?」
「そうだよ。もともと三ヶ月前にそうされるはずだったんだ」
「ビアンカを買い取らせてくれ」
「買い取り? でも、もう修理部品もなくなって、壊れたらおしまいなんだ。わかってるのか?」
「それでもいいよ。壊れるまで、うちで働いてもらう。頼むよ、買取金額を教えてくれ」
「そういわれても、廃棄処分になる製品を売るなんて、勝手なことはできないから……明日まで待ってくれ。上司にきいてみる」
「まだ働けるのに、もったいないじゃないか」
「もう、このタイプは需要がないんだよ。新型の子守人形が安くなったからね。残しておいても維持費がかさむばかりで、そっちのほうがもったいない」
「でも……あんなにいい子なのに。きれいな声で歌ってくれるのに」
「まあね……だけど……」
「それに、あの歌、もっと聞きたいんだ。ビアンカは、君の歌い方そっくりに歌うんだよ」
ヴィンチさんは驚いた顔で、ペペドンチーノさんをみつめました。ペペドンチーノさんはにっこり笑って言いました。
「ありがとう。彼女のことを思い出すからあの歌はもう二度と歌わないって言ってたのに――」
ヴィンチさんは少し照れたような表情をして目をそらし、
「人前では歌わない、と言ったんだ。自動人形は人じゃないから、いいんだ」
と、つぶやくように言いました。


 ペペドンチーノさんの店からは、きょうも歌声が流れてきています。ペペドンチーノさんとビアンカがデュエットしているのです。
 食事を終えて店から出てきたヴィンチさんは、幸せそうな顔をしていました。そして、歌にあわせてハミングしながら帰っていきました。  


 

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