夏の日の反省

 

 ジェニファーは初めて「聞き込み捜査」に行くことになった。
 先輩刑事にくっついて回り、仕事のやりかたを覚えるだけで精一杯かもしれない。ちゃんと道も覚えたいところだが……。
「ジェニファー、きょう一日、よろしく」
と声をかけてきたのは、ギャラハン・ホイットニー巡査部長だった。
「はい、よろしくお願いします、ホイットニー部長」
 するとギャラハンは困ったような顔をした。
「ええと……その、部長って呼び方はかんべんしてくれないか。それと、改まった口調も。なんだか落ち着かなくて……」
「えっ?……でも、なんとお呼びすれば」
「ギャラハンでいいよ」
 ピートが言っていたとおりだ。でも、巡査部長なのに、そう呼ばれるのがいやだなんて、変わった人。
「じゃ、最初は凶器が見つかった西部公園墓地の近くから――」
「あの」
「ん?」
「地図、ありませんか? 私まだなにがなんだか……」
「ああそうか、ごめんごめん。ちょっと待ってて。えーとたしかこっちの棚に……」
 ギャラハンは棚から地図を何枚か取り出し、見比べた。目的のものを見つけると、広げて机に置き、ジェニファーを呼んだ。そして地図を指さす。
「これだ。王立警察本部はここ。犯行現場はここで、凶器のつけもの石が少し離れたここで見つかったんだ。このあたりで不審な人物を見かけたという情報があったので、ほかに目撃した人がいないか、なにか手がかりはないか、それを調べに行くわけだ。で、ウォルターのチームがこのへんを担当するから、俺たちは反対側のこっち」
「なるほど……だいたいわかりました」
「じゃ、行こうか」
 

 まだ午前中だというのに、夏の暑い日差しが直撃してくる。なによりも日焼けが恐いので、ジェニファーは大きな帽子をかぶり、なるべく日陰を歩くようにして、ギャラハンのあとをついていった。彼はウォルターよりも早足のようだ。遅れないように追いかけていくのは、けっこうたいへんだった。
 西部公園地区に入り、大通りに面した建物を一軒一軒訪ねる。留守の家は後日あらためて話を聞けるように、リストを作っておく。それから――。覚えることは、たくさんあった。しかし、一度やり方を知れば、次はもう大丈夫だとジェニファーは思った。地理もおおまかなところは頭に入れた。
 階段をのぼるときに、うっかり靴のヒールをひっかけてしまい、靴底が少しはがれてしまった。歩きにくいのを我慢しながら、ギャラハンの足の速さに合わせていかなくてはならない。だんだん息があがってくる。
「少し休もうか?」
 ギャラハンが言った。彼は全然疲れた様子など見えないから、ジェニファーに気をつかっているのだろう。
「いえ、まだ大丈夫ですよ」
 ジェニファーはそう答える。いくら女性でも、この程度で休まなくてはならないほど軟弱だと思われたくない。
 ギャラハンはなにか言いたそうに、ジェニファーの顔を見たが、ただ、
「じゃ、あっちのブロックに行こう」
とだけ言って歩き出した。ほんの少し、歩くスピードが落ちたような気がする。
 昼近くになり、気温はますます上がってきた。暑さで頭がぼうっとしてくる。もう一度、休憩にしようと言ってくれないかしら、と思いながらギャラハンのあとを追う。追いつこうとして小走りになったとき、ふと意識が飛びそうになった。
 つぎの瞬間、
「ジェニファー、ごめん。ほんとにごめん」
と、いきなりあやまり出すギャラハンの声で、ジェニファーはわれに返った。目の前にギャラハンの顔があり、そのうしろには葉が茂った木の枝と青空が見える。
「え、なにがですか?……あら?」
 自分はなぜか横になっている。ギャラハンは薄いノートでジェニファーの顔に風を送っている。急いで起きあがると、額から濡れたハンカチが落ちた。そして、自分がいま置かれている状況が、やっと理解できた。どうも、意識を失い、木陰のベンチまで連れてこられたようだ。
「大丈夫か? 頭痛くないか? そうだ、水を」
 水筒を取り出すギャラハン。呆然としながらも、ジェニファーは尋ねる。
「すみません……私……いったいどのくらいこうして……」
「五分くらいかな……いやもっと短いかも。とにかく、申し訳ない。俺のペースでひきずりまわしちまって、こんなになるまで無理させて……」
 ギャラハンは心配そうにジェニファーを見ながら、そう言った。
「いえ、私こそ……さっき休ませてもらえばよかったのに、強がりを言ってしまったから」
 失敗だった。まだ、自分のできることとできないことが見極められないようだ。反省しながら、水を飲み、額の汗を拭く。その間もギャラハンは一生懸命ノートで煽いでくれた。
 しばらく座っていると、ようやく気分もよくなり、動けるようになった。
「すみませんでした。もう大丈夫です」
「よかった……。もう昼だけど、食事、できそう? ……じゃ、近くに食堂があるからそこでゆっくり休もう。ああ、その前に」
 ギャラハンはジェニファーの靴を指さす。
「先に靴屋に寄ろうか。靴底がどうかしちゃったんだろう? 食事しているあいだに修理しておいてもらえばいい」
「……気がついていたんですか?」
 ジェニファーはちょっと驚いた。
「左右で音が違ってたからね。少し歩きにくそうだったし」
と、なにげなく答えるギャラハン。
 ああ、そうか。この人は――。
 ジェニファーは、たいして有能そうに見えないギャラハンがどうして第一捜査室にいるのか、やっと少しわかったような気がした。
 


 かえりがけ、狭い路地を通っているときにそれは起こった。
 いきなり、がつんという鈍い音といっしょにギャラハンが地面にひっくり返った。そばになにか赤茶色のものが割れて転がった。
「植木鉢?」
 建物の二階のベランダあたりから鉢が落ちてきて、みごとにギャラハンの頭に当たったらしい。
「だ、大丈夫ですか?」
「いってえ……」
 頭をさすりながらギャラハンは体を起こした。ジェニファーは上を見上げたが、どの窓にも人影はない。偶然の事故なのだろうか?
「平気平気。よくあることだよ……俺、よく不運に見舞われるんだ。きょうなんてましなほうさ」
 そういって笑うギャラハン。しかしジェニファーは笑えなかった。
「でも、頭から血が出てますけど……」
「え、そう?」
 ギャラハンはハンカチを出して頭をごしごしこすりはじめた。本当に平気らしい。彼は並の人間ではないらしい、ということに、ジェニファーはやっと気づいた。


 翌日、ジェニファーは昨日の疲れを少し引きずりながら出勤した。
 グレゴリー警部が分厚い資料を見ていた。ピートが窓際で煙草を吸っていた。
 ギャラハンの姿が見えない。いつもは、自分より早く来ていて、辞書を片手に報告書の締め切り時間と戦っているのに。きのうは平気そうにしていたけど、やっぱりぐあいが悪くなったのだろうか。ジェニファーは心配になった。
 ウォルターが元気に入室してきた。
「おはよう、ジェニファー。きのうはお疲れさん」
 するとピートが窓際からウォルターに声をかけてきた。
「ウォルター、レドウェイト警部がおまえを探してたぞ」
「え、そうか?」
 そのときレドウェイト警部があらわれた。
「ウォルター、博物館の件で捜査だ。ついてこい」
「はい。あれ、ギャラハンはどうしたんですか」
「昨日の晩、迷子の女の子を送っていったら家族に誘拐犯と間違えられて袋だたきにあったそうだ。二、三カ所骨折したらしいが、まあ明日には出てくるだろう」
 レドウェイト警部はおもしろくなさそうな顔で言った。
「そうですか。あいつもよくよく運がないですねえ」
 そう言いながらウォルターは鞄を持ち、警部のあとについて出ていった。
「い、いまの言い方、なに? ふたりとも、すごく薄情じゃない?」
 思わずジェニファーはピートに言った。ピートは煙草の吸い殻を灰皿に押しつけながら答えた。
「べつに……。もう慣れっこになっちまったな」
「ピート、あなたまで! それじゃ部長――ギャラハンがかわいそうだわ」
 熱くなりかけたジェニファーに、ピートはさめた口調で答える。
「そんなこと言ってるけどね、ジェニファー。きみだって一ヶ月もすれば、ああまたか、と思うようになるよ」

 

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