喫茶室の内緒話

 

 ピート・スタンリーは、今日赴任してくるという巡査のことを考えていた。
 室長の話によれば、二十代の女性なのだそうだ。室長が妙にご機嫌な理由はそれか。
 とびきりの美人だという噂もどこからか流れてきた。本当に噂どおりなら、独身男性たちのあいだで一騒動起きるかもしれない。やっかいな話だ。
 ピートとしては、あまり美人ではないほうが好ましい気がした。そう、となりの第二捜査室唯一の女性、メリッサ・ジーンくらいだと理想的だ。彼女は女優やモデルのような美人ではないが、それなりにきれいで性格も比較的穏やかだ。世話好きで気配りが上手で、うちの部署にもあんな娘がいたらいいのに、と思う。
 しかし、理想と現実は違う。やってきたジェニファー・ブリーズ巡査を見た瞬間、ピートはため息をついた。ほかの連中は色めき立った。彼女は、ライトブラウンの愛らしい巻き毛とダークブラウンの知的な瞳を持つ、きりっとした顔立ちの、とぴきりの美人だった。


 翌日、なぜか喫茶室で向かい合うピートとジェニファー。
「なんだい、俺に聞きたいことって」
 そっけないそぶりでピートは尋ねた。それには動じないで、彼女は丁寧に話す。
「時間を作ってくださってありがとうございます。まだ慣れていないから、いろいろわからないことばかりで――」
「それで? ちょっと忙しいんで、要点だけたのむ」
 なぜ、警部でなくこの俺なのだろう、と不審に思っていた。警戒の気持ちから、ピートは必要以上に無愛想に言った。さすがにジェニファーの表情が硬くなりかけたが、彼女はこらえて微笑を保った。へえ、女にしては意外だな、とピートは思った。感情を抑えるということを知っている。
 しかし、いったいなにを聞きたいというのだろう。メリッサがいろいろ世話を焼いていたから、それほどとまどうこともないだろうと思うのだが。
「……わかりました。では、ええと、まず」
 小声になる。
「室長って、けっこうワンマンな人じゃないですか?」
 ピートはコーヒーを噴きそうになった。いきなり、なんだ? ……見かけによらず、バカじゃないな。まあ、ふつうの感覚なら一週間もあれば気づくが、まだ一日だ。思わず、彼女の顔を見つめると、真剣なまなざしが見返してきた。
 美人ほど頭が悪いという先入観を持っていた彼は、ちょっと考えを改めた。そして答えた。
「……まあね。最初のうちはまださからわないほうがいいかもしれない……」
 彼女なら、いつか室長に食ってかかっていくだろうという気がした。それは勝手だが、そのとばっちりをくうのは願い下げたいところだ。
「グレゴリー警部とレドウェイト警部は、仲が悪いんですか? それともいいの?」
 あのふたりのあいだの空気も読んでるのか。たいしたもんだ。
「性格の違いと立場上で対立するだけだ。ふだんは仲がいい……というか、お互いを尊重しているようだよ。俺から見たところ、だけど」
 頷くジェニファー。
「それから……ホイットニー巡査部長って……」
 ちょっと言いよどむようす。
「ギャラハンがなんだ?」
「どうしてあの人が巡査部長なのかしら?」
「……どういう意味だ」
 聞かなくても、だいたいの見当はついていたが。
「あなたが、というのならわかります。だけどあの人……その、なんていうか……ヒラ巡査と同じ目線で同じ仕事しているじゃないですか。巡査部長である意味がどこにあるのか、わからないわ」
 ピートは笑い出した。ジェニファーは驚いたようにピートの顔を見つめた。
「まいったな。そのとおりだけど、よく一日でそこまで見抜いたな。感心するよ」
 どうにか笑いがおさまったピートは続けた。
「あいつは昇進試験を受けたわけじゃないんだ。ちょっとした……いや、たいした手柄を立てたので、その褒美に形だけ昇進したみたいなものだ。あいつ自身がいちばん面食らってる。でもあんまりいじめないでやってくれ、いいやつだから」
「ふうん……そうですか……」
 必ずしも納得したわけではないようだが、彼女は巡査部長の資質について、それ以上突っ込んでこなかった。そのかわり、違う方向から攻めてきた。
「あなたは、彼に対して嫉妬はしていないんですね」
「俺が? まさか……ギャラハンとは幼なじみだ。喜んでるよ。それに、そのうち俺が追い越すんだから、嫉妬なんて必要ない」
と、余裕たっぷりに言ってやる。
 ジェニファーは笑った。こんどはごく自然に。……やっぱり美人だな。
「そうね、あなたはきっと出世するんでしょうね」
「そして君もだな」
「――私はそんなことどうでもいいと思ってます」
 さらりと答えが返ってきた。彼女の瞳に、わずかに陰がさしたような気がした。
「へえ」
 意外だった。本音か? てっきり、上をめざしている野心家だと……。
「それじゃ、レイン巡査はどんなタイプですか? あなたと仲が良さそうだけど」
と、彼女は話題を変えた。
「ウォルターか? うーん、そうだな……見かけによらず繊細なやつだよ。あと、けっこう惚れっぽいというか、女性と親しくなりたがる傾向がある。気をつけたほうがいいぞ」
「気をつけるって、なにを?」
「きみにつきまとうかもな」
「……それは困りますね」
と微笑するジェニファー。
「まあ、よく言っておくよ。はじめから相手にしてもらえないんだから諦めろってね」
「あら、どうしてですか?」
「え?」
「だって相手にするかどうかは、あなたが決めることじゃないでしょう」
「……そりゃ、まあ……。するとなにか、あいつとつきあう気か?」
「そんなこと、まだわかるわけありません。きのう知り合ったばかりだし……。でも、つきあわないと決めつけられるのは心外です」
 そこまでむきにならなくてもいいんじゃないかとピートは思ったが、まあ相手の言うとおりだ。
「わかった、失言だった。悪かったよ。ほかには?」
「そうね……そういうあなたには、おつきあいしている女の人はいるんですか?」
 どういうつもりだ? ピートはわけがわからなくなった。そんなことをなぜ聞くんだろう? 恋愛ばかりにうつつをぬかすような女性には見えないのに。第一、答える必要はない。ないが……。
「……いまは、いない」
 何年か前につきあっていた彼女は、兄の妻になった。その後数人の女性と交際してみたが、どれも長続きしなかった。最近は仕事が恋人のようなものだ。それでもいいと思っている。
「そう……。ありがとうございました。感謝します、スタンリー巡査。今後ともよろしくお願いします」
 彼女は立ち上がり、軽快な足音を響かせて、喫茶室から出て行った。あとに残ったピートは、呆然とそれを見送った。
「……なんだったんだ、いったい」
 職場の人間の話しかしなかったぞ。仕事の具体的なことをなにか聞かれるかと思ってたのに。
 そしていまさらのように気づいたが、ピートは彼女の質問のすべてに対して、本音で答えていた。無意識のうちに、本音が言える相手だと判断したらしい。まだ知り合ってから一日しか経っていないというのに、どういうことだろう。まんまと相手の術中にはまってしまったのか……。しかしまあ、ジェニファーの人となりが少しだけでもわかったのは、自分にとっても収穫だった。間合いをとって様子を見るのでなく、いきなり斬りかかってくるタイプだな。おもしろい。そして彼女の、他人に対する目のつけどころは、どこか自分と似たところがある。……だからか! だから自分は彼女を信頼するのと同時に、なんとなく煙たい気がするのか。
 彼女がほかの誰かでなく、自分に質問をぶつけてきた理由もわかったような気がした。
 まあいい、とピートは思った。彼女が入ったことで、第一捜査室は今後、仕事の能率がいくらか上がることはまちがいない。


 その日のもっと遅い時間。またも喫茶室で、こんどはひとりの女性がジェニファーと向かい合っていた。褐色の長い髪と、黒い瞳。優しそうな顔立ちの若い娘だ。
 ジェニファーは彼女にそっと囁いた。
「聞き出しましたよ、メリッサさん。今はつきあっている人、いないそうですよ」
「ほんとう?……ありがとうジェニファー」
 メリッサと呼ばれた女性は目をきらきらさせ、柔らかい声でうれしそうに答えた。
「それじゃ、まだ望みがないわけじゃないのね……。ああ、でもあなたのような美人が同じ部署にいたら心配だわ……」
「大丈夫。彼と私、お互いに、好みの相手じゃないと思いますよ」
 そう言ってジェニファーはにっこり微笑んだ。
「いえ、もちろん、仕事仲間としては尊敬できる先輩だと思いますど」
「そ、そうでしょ? 私もそうだと思うの! それでずっと前からステキだなあと思ってて」
「思いが通じるといいですね。でもこういうことは焦らないほうが……」
「そうね。私、これでも辛抱強いほうなのよ。もう、1年くらい密かに思い続けてるの。誰も気がついていないと思うけど」
「私にできることがあったらなんでも言ってくださいね。応援しますから」
「ありがとうジェニファー。悪いけど、これからもいろいろ情報お願いね」
「女性刑事の先輩として、メリッサさんにはいろいろお世話になるのだから、それくらいさせてもらわないと。こちらこそ、よろしくお願いします」
 するとメリッサは、こう言った。
「あなたが来てくれて、ほんとに嬉しいわ。そうだ、今夜いっしょにご飯食べない? ちょっといいイタリアンレストランが近くにあるのよ」
「よろこんで。イタリア料理なんて久しぶりだわ」
「そのときに、捜査部の連中の弱点を、こっそり教えてあげる。女性だからってバカにされない秘訣もね」
と、黒い瞳が意味ありげに笑う。
「まあ、ぜひ聞きたいわ。それじゃ、また夜に」
 くすくすと笑う女性ふたりのかわいらしい声。男性ばかりの喫茶室では、少々目立っていた。

 

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