母の日の保険

 

「エレノア、ぐあいはどう?」
 ウッド夫人が、新しいタオルを持って部屋にはいってきました。ベッドのなかのエレノアさんは、小さな声で答えました。
「さっきより……楽になってきたから大丈夫」
 夫人は心配そうな表情で、エレノアさんの顔を覗き込みました。タオルでエレノアさんの額の汗をそっと拭いてくれます。
「なかなか熱がひかないようね。氷はまだあったかしら……」
「ごめんなさい……いつも……心配かけて」
「何言ってるの……親なのだから、あたりまえのことをしているだけよ。そんなこと気にしないで、ゆっくり休んではやく良くなってちょうだい」
「……はい……」
 エレノアさんは、おとといから熱を出して寝ているのでした。涙が出てくるのは、熱で苦しいからではなくて、悲しいからでした。
 ほんとうなら、今日は家族3人でお出かけするはずだったのです。母の日に、おかあさんのいきつけのフレンチレストランで食事をしようと提案したのは、ほかならぬエレノアさんでした。最近少しずつ体調が良くなってきたので、こじんまりしたレストランでの、昼間の食事くらいなら大丈夫だと思っていたのです。エレノアさんが重い病気になってから、ほとんど外にも出かけず、毎日看病してくれるおかあさんに、たまには楽しんでもらいたいと思って、おとうさんと相談して、店に予約しておいたのです。それなのに……。
 奇跡的に、お昼までに熱が下がるなんてことはないかしら、とちょっと考えました。でも、経験上、あまり見込みはありませんでした。ますます気持ちが落ち込んでしまいました。
 ウッド夫人はしばらくのあいだ、エレノアさんの様子を見まもっていましたが、やがて静かに部屋から出て行きました。


 玄関をノックする音が聞こえたので、ウッド夫人はドアを開けました。そこにいたのは郵便配達員のホワイトさんでした。
「こんにちは、ウッドさん。郵便です、どうぞ」
「ごくろうさまです、ホワイトさん」
 ホワイトさんは、少し心配そうに、聞いてきました。
「エレノアさんは、いかがですか?」
「まだ熱が下がらなくて……でも、きのうよりは少し良くなってきたようですわ。いつも、心配してくださってありがとうございます」
 あのホワイトデーの一件以来、ホワイトさんはエレノアさんのことをとても気にかけてくれているようです。ウッド夫人はありがたいことだと思っていました。
「そうですか……それでは、これを」
と、ホワイトさんが鞄から取り出したのは、薄いピンク色をした一通の大きな封筒でした。
「エレノアさんから、条件つきで配達を依頼されたものです」
「条件つき? エレノアから、ですか?」
 受け取りながら、ウッド夫人は尋ねました。ホワイトさんは頷きました。
「ええ、きょうのお昼前にご一家がお出かけになっていない場合は、あなたにお渡しするようにと」
「いったいどうしてそんな……」
「エレノアさんは、ご自分が体調を崩される可能性を考えていたんです。食事に出かけられないときは、代わりにこれを母の日のプレゼントにと」
「まあ……」
 ウッド夫人は驚きました。封筒を開けると、中から手紙とプレゼントが――レースのふちどりとワンポイント刺繍のついたハンカチでした――出てきました。ハンカチには見覚えがありました。2週間ほど前だったでしょうか、エレノアさんが刺繍をしていたものです。
「それでは、失礼します。エレノアさんが早く良くなるようにお祈りします」
 そう言ってホワイトさんは一礼し、次の配達へと向かっていきました。
 ウッド夫人はしばらくその場にたたずみ、ハンカチを見つめていました。根をつめてこんなことをしていたから、熱が出てしまったのかもしれないと思いました。でも、そんなことをエレノアさん本人にはとても言えません。体調が少し良いときに、少しずつ少しずつ作ってくれたプレゼントなのです。
 エレノアさんの部屋に戻ったウッド夫人は、うとうとしているエレノアさんの枕元で、ささやくように言いました。
「エレノア、どうもありがとう。すてきなハンカチだわ。大切に使わせてもらうわね」
 エレノアさんは目をあけて、おかあさんを見ました。
「ハンカチ……」
「今、ホワイトさんが届けてくださったの。あなたからのプレゼント」
「ああ……ホワイトさんにお願いしてあった、あれ……」
 エレノアさんは、にっこり笑いました。
「喜んでもらえて嬉しいわ。おかあさん、いつも……ありがとう。今日はお食事行けなくてごめんなさい。また今度、絶対、行きましょうね」
「そうね。とりあえず、早く治さなきゃ。ゆっくりお休みなさい」
 ウッド夫人はエレノアさんの頭をそっとなでて、また部屋から出て行きました。娘が熱で苦しんでいるというのに、どうして私はこんなに嬉しい気持ちになっているのだろうと不思議に思いながら。

 

 

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