あらしのまえ

 

「メリッサ、ちょっと」
 喫茶室でコーヒーを飲んでいたメリッサ・ジーンは、呼ばれて顔を上げた。第一捜査室のグレゴリー警部が立っていた。灰色の髪と灰色の目、穏やかな感じの男性で、第一捜査室のメンバーのなかでは一番の紳士だとメリッサは思っていた。
「はい、なんでしょうか」
「少し、いいかな」
 そう言って警部は向かいの席に座った。警部が目の前にいると、いまでもちょっぴりドキドキする。数年前、メリッサが第二捜査室にやって来たばかりの頃、となりの部署であるにもかかわらず、いろいろと面倒をみてくれた警部だった。落ちついた物腰と優しい人柄に、ひそかに憧れていた。このひとが妻帯者でなければ、と何度思ったことか。もっともメリッサもすぐ現実に目を向け、いまは独身の若い刑事に恋している。
「じつはこんど、第一捜査室にも女性が来ることになってね」
と、警部は切り出した。
「まあ! 本当ですか?」
 警察本部にはもともと数が少ない女性警官だったが、中でも捜査部には、第二捜査室のメリッサひとりしかいなかった。だから女性のメンバーが増えるという話はとても嬉しかった。
「ジェニファー・ブリーズというんだ。ロンドンは初めてなので、いろいろと不慣れで困るだろうと思う。きみがめんどうを見てくれると助かるんだが、お願いできるかな」
「もちろんですわ。私からお世話させてくださいとお願いしたいくらいです。ああ嬉しいわ、女の人が来るなんて!」
 メリッサの喜びようを見て、警部も口元に笑みを浮かべた。
「ありがとう。有能だが、きみと違ってなにぶん経験が浅い巡査なのでね、よろしく頼む」
「経験が浅い……って、それでも地方から捜査部に引き抜かれるのですから、よほど優秀な人なんですね」
「ああ、彼女は警察官になってまだ半年、内勤しか知らないんだがね。じつをいうと私が推薦したんだ。前に凶悪窃盗団を追ってケンブリッジまでいったことがあったんだが、あのときにとてもよく働いてくれて。情報収集と分析の能力がすぐれている」
「そうだったんですか。グレゴリー警部のお気に入りなんですね……それで」
「ここの猛者連中にいじめられて、帰りたいなどと言われても困るからね」
と警部は笑った。
「大丈夫ですよ、私がいじめさせませんから」
「うん、きみならうまくやってくれるだろう。それじゃ、よろしく。あさって赴任してくるそうだ」
 警部は立ち上がった。メリッサはにっこり微笑んで、
「はい、わかりました」
と答える。グレゴリー警部からじきじきに頼まれては、張り切らないわけにはいかない。
 残ったコーヒーをすすりながら、メリッサは想像を巡らせた。どんな人だろう、私より若いのでしょうね。背は高いのかな、低いのかな。髪は、目は、何色かしら。ジェニファー、すてきな名前。会うのが楽しみだわ。
 


「楽しそうだね。なにかいいことがあったのかい?」
 そう尋ねてきたのはウォルター・レインだ。背が低く、やや横に広い体型なので太って見えるが、実際はそれほどでもない。茶色のくせっ毛と大きな瞳は、人なつっこい印象を与える。メリッサが安心して話せる同僚のひとりだった。
「うふふー、秘密」
 秘密にしておく理由もないが、わざともったいぶってみた。
「えー? なに? なんだよ、教えてくれよ」
 ウォルターはすなおに食いついてきた。
「聞いてない? 第一捜査室に、女の人が来るんですって」
「え、ほんとに? 初耳だな。どこからの情報だい」
「グレゴリー警部から聞いたんだから、確かよ」
「へえ……そいつはすごいや。そりゃ、メリッサが喜ぶわけだ」
「そういうウォルターも嬉しそうね」
「はは……いままで第二捜査室のやつらが羨ましかったけど、そうか、うちにも来るのか。よし、みんなに知らせてこよう」
 そう言いながら、ウォルターは行ってしまった。
「広報係だわね、ウォルターったら」
 つぷやきながら、メリッサもようやく立ち上がって、喫茶室を出て行った。


 二日後の朝。受付の横で待っていたメリッサは、やってきたジェニファー・ブリーズを見て驚いた。どうしてこんな美人が、警察官になったんだろう……女優とか、モデルとか、そういう話がいくらでも来そうなくらい、きれいな女性だった。一瞬呆然としてしまったメリッサは、しかしすぐに気をとりなおして、彼女に声をかけた。
「はじめまして、ジェニファーさん。私、第二捜査室所属のメリッサ・ジーンです。グレゴリー警部から、あなたをご案内するように指示がありました。どうぞこちらへ」
 ジェニファーは、まぶしい笑顔とよく通る明るい声で答えた。
「わざわざありがとうございます。よろしくお願いします」
 すてきな人。思っていたより、ずっとすてきな人……。メリッサの心に焦りが出はじめた。どうしよう、彼女がもし――。
 メリッサの頭の中の電算機は、ものすごいスピードで計算を始めた。
 

 

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