ハロウィーンの夜


 あたりはもう暗くなっていた。しかし、店は開店したばかりで、まだひとりの客もいなかった。
 ハロウィーン――今夜は特別な夜だ。近所に住む子どもたちが、思い思いの仮装をして商店街を練り歩き、お菓子をもらってまわっている。「トリック・オア・トリート」の声が、通りのあちこちから聞こえてくる。
 テムズは、子どもたちにあげるキャンディを用意しながら、昔を思い出した。自分が行列の先頭に立って、大きな声をあげていたのは、何歳ごろまでだったろうか。
 声が近づいてきたので、テムズはキャンディをエプロンで包み、店の入り口まで出ていった。小さなモンスターたちが、薄暗いところからあらわれた。ミイラや幽霊、白いおばけ、狼男、魔女、吸血鬼。それから妖精に骸骨。また、恐ろしいのにどこか愛嬌のある顔をしたカボチャをかぶっている子もいる。テムズはみんなに少しずつキャンディを配った。
 子どもたちは、ありがとうと言って隣の雑貨屋に向かっていった。店の中に戻ろうとしたテムズは、ひとりの男の子がまだその場を動かずに残っているのに気がついた。
 素顔を出しているその子には、見覚えがあった。時々、夕方遅くに店の前を通る子だ。
 テムズは、不思議に思って声をかけた。
「どうしたの? みんなと行かないの?」
「ぼく……」
 小さな声でうつむきかげんに答えた男の子は、次の瞬間、テムズの横をすり抜けて店内へ飛び込んでいった。
「ちょ、ちょっとなあに?」
 子どもは楽しそうに店内を駆け回った。テムズも追いかけながら、ぐるぐる店の中を回る。
「ちょっとやめてよ。あぶないわよ」
 そう言うと、男の子はやっと走るスピードを落とし、テムズの前に来た。
「ごめんね……中がどうなっているか、見たかったんだ。僕、お店の前をとおるたびに、大人になったらここにお酒飲みに行くんだ、って思って見てたんだ」
「そうよ、お酒はおとなになったらね。さ、もうじきお客さん来るから、出て行ってね」
「でもさ……ぼく、おなかがすいてるの……キャンディじゃおなかいっぱいにならないんだ」
 お菓子をもらっておいて、そのいいぐさはないだろう、とテムズはちょっぴりムカっと来た。しかし男の子の痩せた体と顔色の悪さを見て、とたんに思い直した。彼は仮装ではなく、おそらく普段着であるぼろぼろの服をそのまま着ているだけだ。それがちょっと幽霊のように見えなくもないのだった。
 きっと貧しい家の子で、ほんとにおなかがすいているのだ。テムズは気の毒に思った。
 そこで、彼の手をひいてカウンターの隅にすわらせた。
「ちょっと待ってて」
 テムズが、ゆであがったばかりのじゃがいもと、野菜のスープを出してあげると、彼はうれしそうに礼を言って食べはじめた。
「この店の前を夕方通ると、いつもいいにおいがしてくるんだよ。きっとおいしい料理が食べられるんだろうな、いつか食べたいなって思ってた。……ほんとに、こんなにおいしいの、食べたことないよ。ありがとうおねえちゃん」
 男の子は、幸せそうな笑顔でそう言った。
 じゃがいもとスープだけなのに、こんなに喜んでいる。育ちざかりの時期に、満足に食べることもできないのはつらいだろう。かわいそうに……一方ではどこかのお屋敷で、ごちそうを食べ飽きて残している子どももいるというのに。世の中どうしてこんなに不公平なんだろう……。
 そんなことを考えていると、サリーとウェッソンが二階から降りてきた。そこでテムズは料理の下ごしらえをするためにキッチンに向かった。
 そのときふと、カボチャのケーキがひときれのこっていたのを思い出し、戸棚から出して紙で包んだ。あの子に持たせてあげようと思ったのだ。
「こんなのでよければ、またいらっしゃいよ。毎日じゃ困るけど、時々なら――」
 そう言いながらカウンターに戻ると、男の子はもういなかった。
 いつのまに出て行ったんだろう? ドアベルの鳴る音に気がつかなかったけど。
「ねえサリー、ここにいた子、出て行ったの?」
 サリーがきょとんとした顔で答える。
「え? 子どもなんていませんでしたよ。何言ってるんですかテムズさん」
「えっ……だっていま、ここにすわってじゃがいも食べてたでしょ? ぼろ着た子が」
「そんな子いなかったですよぉ。ねえ、ウェッソン」
「ああ、俺も見てないな。……どうしたんだ? 疲れているんじゃないか?」
 ウェッソンはグラスを磨きながら、少し心配そうな顔でテムズのほうを見ている。
「そんな……だって……おなかすいてるっていうから、じゃがいもとスープを」
「それ、テムズさんが食べるのかと思ってました。……ほんと、大丈夫ですかぁ?」
 ……夢でも見ていたんだろうか。いや、たしかにいたはずだ。じゃがいもとスープはちゃんとここにある。
「少し休んでこいよ。まだ客も来ないから」
とウェッソン。
「……うん……そうね、そうさせてもらうわ」
 なにがなんだかわからず、呆然としながらテムズは居間へと向かう。
 椅子に腰をかけてふと窓の外を見ると、暗闇にあの子の顔が浮かんだ。
「あっ!」
 テムズは叫んで立ち上がり、急いで窓を開けた。男の子はそこにいた。
「おねえちゃん、ごちそうさま。ね、また来年来てもいい?」
「来年……?」
「このあいだまでは毎日店の前通ってたんだけど……おなかがすきすぎて……もう、一年に一度しか来られなくなっちゃったんだよ。だからまた来年」
「……ええ、また来年ね」
 そう答えながら、テムズは泣きそうになった。こんな悲しいハロウィーンは初めてだ。
 しかし男の子はにっこり笑って、
「ありがとう」
と言うと、薄暗い通りを駆けていった。あの道は、どこに続いているのだろうか。
 テムズはひんやりした夜の空気に身震いし、窓を閉めた。
 ハロウィーン――今夜は特別な夜だ。

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