ふゆのそなた

 

 新年早々のことです。とある国の若い王様が、お忍びでロンドンに遊びにやって来ました。お忍びですから、顔を知られていそうな一流ホテルは避けて、名もない小さな宿に泊まろうと思いました。ふと目についた、ちいさなB&B。そう、フロンティア・パブです。王様はここに宿をとろうと思って、入口のドアを開けました。
 元気な太った女将さんが出迎えてくれるのを期待していた王様は、びっくりしました。受付のカウンターにいたのは、赤い髪の乙女だったからです。彼女は少しうるんだ瞳で王様を見ました。その頬は髪の色に負けないくらい、赤く染まっていました。
 なんと可憐な人だろう! と王様は思いました。この娘に一目惚れしてしまったのです。
「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」
 小さい鈴が鳴るような声でした。また、ゆっくりしたおしとやかな動作は、町娘よりも貴婦人のように見えます。王様はますます気に入ってしまいました。自分の理想の女性がここにいる、と思いました。
 宿帳に偽名でサインした王様は、娘の案内で2階の部屋に落ち着きました。そして、一晩考えました。
 翌朝、王様は宿の娘に言いました。
「余の妃になってくれぬか」と。娘はとつぜんのことにびっくりして声も出ない様子でしたが、王様はさらに続けました。
「じつは余は某国の王なのだ。といきなり言っても、信用できぬのも無理はないが……。そうだ、これを」
 王様ははめていた指輪のうちのひとつを抜き、娘に手渡しました。動物と王冠と剣とが組合わさった立派な紋章がついている、銀の指輪です。
「え? あの……これ……」
「それを持っていてほしい。余はひとまず国に帰るが、春になったらその指輪と同じ紋章のついた馬車で迎えに来る。それまではこのことを口外せずに、おとなしくしていてくれ」
 娘はぼーっとした顔で、王様を見つめました。
「あのぉ……おっしゃる意味がよく……」
「ではしばしの別れだ」
 妙にカッコをつけて、王様は宿をあとにしました。その後の観光の予定をキャンセルして、そそくさと国に帰り、担当大臣を呼びつけ、結婚する、と伝えました。重臣達は驚きましたが、以前からワンマン国王である王様にはなにを言っても無駄。結婚式の準備は進められていきました。
 春になって、約束通り王様は馬車でやってきました。見覚えのある店のドアを開けた王様は、中の光景をみて、あっけにとられました。
 髪振り乱し、モップを振り回しているのは間違いなく、自分が求婚した娘です。でも、あの時とはまるで様子が違いました。ぎゃーぎゃーわめきながら黒髪の男を追いかけ回し、モップで叩こうとしています。
「確かに俺が悪かった。で、でもしかたなかったんだ。ネルソンのじいさんと――」
「冗談じゃないわよっ!3ヶ月も連絡なしにいまごろのこのこと帰ってきて。私のことなんて、これっぽっちも考えてなかったでしょ。冬のさなか、流感でふらふらだったときにも一人で店の仕事を全部やってたうえに、あんた達の捜索頼んだり、いろいろ大変だったんだから……」
 王様は目を疑いました。しかし確かにあの娘です。あのときの優雅で控えめな彼女はどこに行ったのでしょうか?
 娘は呆然と立ちつくす王様に気付き、あわててモップをひっこめました。そして、営業スマイルで言いました。
「いらっしゃいませ……あら?あなた……」
 彼女は急いでカウンターに戻り、棚の中から小さな箱を取り出しました。
「お忘れ物を取りにいらしたんですね? はい、この指輪」
「忘れ物だと……? いや、これは……」
 ちょっと考えて、王様は答えました。
「そう、忘れ物を取りにきただけだ。……世話をかけたな」
「いいえ。良かったわ、持ち主にお返しできて。これを見せてくださって、ここに置いたままいつのまにかあなたはお帰りになってしまって……。私、あのとき熱で頭がぼうっとしていたので、お話もよくわからなかったし、不注意をしてしまいました。申し訳ありません」
「いや、あやまることはない……。では、さらばだ」
 王様はそれ以上なにもいわずに立ち去りました。しかし店の外にでてから、そっと呟きました。
「余は夢を見ていたのだろうか……。冬のそなたは優雅で慎ましく美しかった……そして今は……」

 

 

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